コロナ禍での心と身体③ アスリートの苦悩と希望
スポーツ医・科学 委員会
コロナ禍での心と身体③アスリートの苦悩と希望
スポーツ心理学 矢野 宏光(高知大学教育学部教授)
新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的な大流行)によって、世界中のアスリートが影響を受けていることは間違いありません。国際プロサッカー選手連盟が行った調査によると、プロサッカー選手の5人に1人が「うつ症状」を示し、その多くが強い「不安障害」にも苦しんでいるというのです(FIFPro, 2020)。
この原因として、サッカー界では一流選手を除いて1〜2年の契約が主流であるため、コロナによる試合の中止や延期によって自分の将来がどうなってしまうのか強い不安を抱えたり、ロックダウンによって自宅から動けず、長期間家族にも会えない状況が続いたことなどが挙げられています。
一般には、「強靱なメンタル」を持っているイメージが強いトップアスリートであっても、すべてにおいて“メンタルの強さ”を発揮するわけではありません。自分の専門とするごく狭い領域にのみ特別な強さを発揮する選手は少なくないのです。
また、トップアスリートの多くは、まるで鍛え上げられた肉体をつくるように、長い時間と努力を重ねてメンタル面の強化をしています。強い心は元々あるものではなく、強く育てられたものなのです。本来トップアスリートも一般人も、基本的なメンタル能力はさほど変わらないといわれています。
けれど、トップアスリートは、「コーピング能力(対処する能力)」に優れているため、プレッシャーのかかる強いストレス場面でも、気分の起伏が少なく安定してパフォーマンスを発揮することができます。
それでも、コロナが創り出した新しい日常は“全く経験が無いもの”かつ“先の見えない状況”であるため、これまでの経験値を適用したコーピングがうまく機能しません。人は“こういう状況だから〇〇してもしかたない”というように、交換条件をつけて普段はしないことを正当化したり、ときにそんな自分が嫌になり強く自己を否定したり。混乱しながらも「受け入れる」「受け入れられない」を繰り返しながら徐々に環境に順応し、しだいに自分をコントロールする力を高めていくのです。ですから、このような苦悩は決して無駄なことではないのです。
ですから、アスリート本人は、“他者に自分の悩みや苦しみを吐き出すことなんて弱い者のやること”と考えるのではなく、これは競技再開に向けた適切な取り組みであると正しく理解することが大切なのです。一方、コーチや保護者のサポートも不可欠です。アスリートの周囲にいるサポーターは、ただ話を聴くだけでも十分ですからアスリートが飾らず本音を語る機会をつくって欲しいのです。
強靱なメンタルを持つトップアスリートであっても、未だ経験したことのないコロナ禍で安定した心理状態を維持することは困難なのです。“落ち込んだ自分に落ち込み”自分を卑下することは必要の無いことです。自分でコントロールできないことは手放し、できるだけ早く新しいスタンダードに慣れていくことが肝心です。
「怒りのコントロール(アンガーマネジメント)」のベースとなっている方法論に、SFA(ソリューション・フォーカスト・アプローチ)というものがあります(詳しくは、矢野宏光著 『剣道 心の鍛え方』(2018)体育とスポーツ出版社をご参照ください)。
これは「解決志向アプローチ」と呼ばれ、「過去は変えられないものだから、過去を悔いる時間とエネルギーがあるなら、未来をどう変えられるかにそれを使うべき」という考え方です。“なぜこんなコロナの時代がやってきたのか”どれだけ怒っても過去は変わりません。だから我々にできるのは、この苦痛の体験をこれから先の未来にどのように生かすかなのです。
この先、人類がコロナに勝利し、コロナが終息したとき、コロナ禍の苦悩はより発展した未来を創り出した“良い経験”と認識されることでしょう。
つらい過去が良い経験になる日までに我々はどれだけ成長できるかを目標に今できることを黙々と続けようではありませんか。