『最悪の未来』はこうして生まれる ―大惨事思考という“思考のワナ”から抜け出す方法―
スポーツ医・科学 委員会
『最悪の未来』はこうして生まれる―大惨事思考という“思考のワナ”から抜け出す方法―
スポーツ心理学 矢野 宏光(高知大学教育学部教授)
勝負がかかった場面や大きなプレッシャーのかかる試合になると、多くの中学生・高校生アスリートは、「もし失敗したらすべてが終わるのではないか」「自分がチームの足を引っ張ってしまうのではないか」といった、根拠のない不安に心を占領されてしまうことがあります。心理学ではこれを「大惨事思考(catastrophizing)」と呼び、「思考のワナ(非合理的な信念:イラショナル・ビリーフ)」の代表例とされています。
この思考に囚われると、自信や意欲は低下し、焦りや不安が強まり、意図的に行動する力が奪われます。また、「どうせ自分では無理だ」「結局いつも上手くいかない」といった“過度の一般化”が進むため、思考はさらに悪い方向へと加速していきます。当然、このような不安定な心理状態ではパフォーマンスを充分に発揮することは難しくなり、“次もきっと最悪の結果になるはずだ”という負のループが形成されてしまいます。
では、この負の連鎖からどのように抜け出すことができるのでしょうか。ここでは、大惨事思考から距離をとり、現実を正しく認識するための3つのステップをご紹介します。
【ステップ1】 あえて「最悪のケース」で考えてみる
まずは、頭の中で膨らみがちな“最悪の未来”をあえて言葉にしてみます。全国大会がかかった試合のような大舞台では、次のような思考が生まれやすくなります。
(例)
「全国大会出場のかかった大事な試合で、自分のミスが流れを悪くする」
→「チームが逆転負けを喫し全国大会を逃す」
→「自分のせいで負けたと思い込み、仲間から責められているように感じる」
→「部活に居づらくなり、練習でも萎縮して本来の力が出せない」
→「スポーツ推薦の道が閉ざされ、将来の進路にも影響が出る」
→「何をやっても上手くいかない人間だと自分を否定してしまう」
【ステップ2】 次に「最善のケース」で考えてみる
続いて、真逆の“最高の未来”をあえて描いてみます。やや大げさでも構いません。
(例)
「全国大会出場のかかった試合で大活躍する」
→「チームを勝利に導き、仲間の信頼を一気に得る」
→「県大会やブロック大会でも注目され、新聞などにも取り上げられる」
→「高校・大学から特待生として誘われる」
→「将来は全国レベルの選手として活躍する」
【ステップ3】最後に「最もあり得るケース」で考える
ステップ1・2という両極端を十分に意識したうえで、最後に“もっとも現実的に起こりそうな未来”を考えてみます。
(例)
「全国大会がかかった試合で緊張はあったが、ミスしてもすぐに立て直せた」
→「チーム全体で粘り、最後まで接戦を演じることができた」
→「勝てば全国大会進出、惜敗しても価値ある結果を残す」
→「監督は、ミスよりも“最後まで戦い抜いた姿勢”を高く評価する」
→「次の大会に向けて課題と成長が明確になり、出場機会も継続」
→「仲間との結束が強まり、翌年や次の大会で全国出場を目指す力が育まれる」
「大惨事思考」を終わらせる鍵は、“未来の脅威の連鎖から抜け出し、現実の位置を取り戻すこと”にあります。ステップ1とステップ2の事例を見ても“さすがにここまではないだろう”と気づけるように、思考の連鎖が進むほどその実現可能性は低くなっているものです。しかし、大惨事思考にとらわれているときには、この非現実性に気づく視点が失われてしまいます。そこで、“最悪”“最善”の両極端をあえて描き、そのうえで“もっとも現実的な未来”を考えることで、思考を健全な位置に引き戻すことができます。
フランスには「木はしばしば森を隠す」という諺があります。一本の木ばかりを見つめていると森全体が見えなくなる、という意味です。「大惨事思考」という思考のワナにはまっているときの私たちは、まさに深い森の中で自分の位置を見失っている状態です。だからこそ、一度その森(=思考の渦)をいったん抜け出し、外から森全体を眺め直す冷静さが必要になります。そうすることで、“最悪の未来”が思考の中で勝手に作られたものであると気づき、現実を正しく捉える力が不安に飲み込まれないための支えとなるのです。
【矢野宏光著 『剣道 こころの強化書』(2025)体育とスポーツ出版社 から一部引用】
