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当たり前の呼吸で再スタート

当たり前の呼吸で再スタート

アスレティックトレーナー 中森 徹(高知県スポーツ科学センター)

 人は1日あたり何回呼吸しているでしょう?答えは約2万回です。その呼吸は誰に教わることもなく“産声”を上げた瞬間から“息を引き取る”まで誰しもが行っています。しかしこの呼吸に注目して現代人を見ると本来の呼吸が行えていない人が多いことが分かります。それは現代病と言われる慢性的な肩こりや腰痛に加えて自律神経や情動・内臓に関係する悩み、日常生活動作やスポーツのパフォーマンスの低下にも関与しています。本来使う必要のない胸や肩・背中の筋肉を使って2万回も呼吸を行えば疲れて当然です。
 当たり前の呼吸に戻すことでスポーツにおける競技力の向上やケガの予防だけでなく健康的な日常生活を送ることができるなど、人生を変える可能性があるのです。
 ここで挙げる本来の呼吸とは赤ちゃんの時に行っていたIAP(Intra Abdominal Pressure)呼吸のことで、胸とお腹の境界となる“横隔膜”という筋肉を主に使った呼吸です。この呼吸の目的は理科の時間に学んだ酸素や二酸化炭素などのガス交換だけではありません。横隔膜が上下し、腹部の圧力が高まることで腹部内蔵へのマッサージ(血行循環)効果や内臓機能の補助・脊柱の安定(姿勢維持)力などが得られます。この腹部の安定性(俗に言われる体幹力)が得られたことで力を発揮する際に大きな力が手足へ伝導し、地面を押すことができるようになります。その跳ね返った力(床反力)によって立ち上がる・歩く・走る・跳ぶといった動作が行え、ボールを投げる・ラケットを振る力にも繋がります。

 人の身体をボールに例えると
・うまく呼吸ができていない=空気の抜けたボール:転がらない 跳ねない 劣化しやすい
⇒体力の低下(運動能力や意欲が無い ケガしやすく免疫力も低い)
・間違った呼吸で身体が固定されている=コンクリートのようなボール:転がるが跳ねさせると壊れる
⇒ケガなどの不調が多い
・うまく呼吸ができている=適度に空気の入ったボール:よく転がる よく跳ねる
⇒体力がある(運動能力や意欲が高く、ケガしにくく免疫力も高い)

 では何から始めれば良いのか?
①息を吐いて肋骨を下げる。(お腹を引っ込めることではない。)⇒横隔膜が使える状態になる。
②鼻で吸って胴(お腹周囲360°)を膨らませる⇒腹腔内圧が高まる。
 ※お腹の前だけ膨らませるのは間違い

 今まで胸や肩の筋肉を主に使って呼吸を続けてきた方の肋骨は下の方が少し浮き上がっていたり、肋骨が90度以上開いていたりすることがあります。その場合はこのような知識がある専門家の手やサポートが必要になることもあります。

 実は古来よりこのような呼吸が望ましいと捉えられるような言葉が日本語にはあります。“胸を撫でおろす”や“一息つく”は安心する・休めるという意味合いで使われますが、社会生活で乱れた呼吸を当たり前の呼吸に戻すことを目的としており、肋骨を下げる・吐くにつながります。中には肋骨を下げようと頑張りすぎる方がいらっしゃるかもしれません。そのような方には『ホッ』と一息をつくことをお勧めします。肋骨だけでなく呼吸で使われていた肩もその筋肉も使う必要が無くなり下がります。約370年もの前に宮本武蔵が著した兵法書『五輪書』の水の巻にもIAP呼吸が示唆されています。時代は変わりましたが身体の本質は変わっていないようです。

 “・・・トレーニング”や“・・・メソッド”などでトレーニングメニューが流行り廃りしながらも多く出回るようになり、実際のところ何をすれば良いのか悩まれている方が多いように感じます。まずはいつも行っている呼吸を生まれたばかりの赤ちゃんになったように再スタートしてみてはいかがでしょう。