> スポーツ医・科学委員会 > スポーツ医・科学豆知識 > 「シェイピング」トップ選手が実践する「目標達成」の方法

「シェイピング」トップ選手が実践する「目標達成」の方法

「シェイピング」トップ選手が実践する「目標達成」の方法

スポーツ心理学 矢野 宏光(高知大学教育学部教授)

 これだけ目一杯やってきたのに “大事な試合で大負け”。こんなときに感じる「がっかりした経験」、きっと誰もが持っているはずです。実はこの「がっかり」の正体は「孤独感(loneliness)」だったのです。孤独感という言葉を聞くと、一般的に“ひとりぼっち”“さみしい”などの感情を想像しがちですが、心理学において「孤独感とは願望レベルと達成レベルの間にギャップが生じたときに生ずる感情」と定義されています(工藤・西川, 1996)。つまり、孤独感とは、願望レベルと達成レベルのギャップから生み出されるものなので、周囲からみれば十分な成果であっても、本人の願望レベルがもっと高いレベルにあるならば孤独感は生じるのです。では、孤独感を生まないためには何が必要なのでしょうか。
 単純に考えると、孤独感を生まないためには願望レベルと達成レベルのギャップを埋めれば良いわけで、そのためには自分の願望を「目標」という現実的な課題に具体化しその達成をはかる必要があります。しかしそうは言っても、“課題に取り組む意欲がわかない”“目標を達成できる気がしない”というときもあるのは事実です。そこで効果的に目標設定と達成を進めていくための方策をご紹介します。

 目標とする「行動」や「技能」の習得に有効な心理的手法に「シェイピング(shaping)」があります。これは、大目標(最終的な目標)の達成に至るまでの「スモールステップ(小さな目標)」を段階的に設定して、“ステップ・バイ・ステップ”で目標設定と達成を繰り返しながら最終的な目標にたどり着くというやり方です(図1)。もともと、子どもの社会行動の形成をねらいとして用いられてきた手法ですが、今ではスポーツ選手の強化に応用されています。

 まずは現状を分析して自身あるいはチームが大目標を達成するために必要な要素を明らかにします。次にその要素を高めるために必要な行動や技能について、できるだけ具体的に小目標(課題)を設定します。これがスモールステップです。スモールステップを設定する際のポイントは“ちょっと頑張ったら達成できそうな目標”にすること。このような目標の設定のし方が最も意欲を高めることがわかっています。そしてひとつのスモールステップがクリアできたら“ご褒美”(心理学では「強化子」と呼ぶ)を与える方法をとることが有効でしょう。これによって次のステップに自分を向かわせるエネルギーが増幅されます。もしどうしても課題の難易度が高くて達成できない場合は、達成できそうなレベルまでわずかに目標を下げスモールステップを設定し直します。これを繰り返しながら徐々に達成レベルを上げていきます。この過程はまるで“登山”のようなものと考えられます。ただ漠然と願望レベルの大きな目標を掲げても、遠くかすんで見える高峰を登るようで実現の可能性は期待できません。そこで具体的な近くの目標を決め、1合目、2合目と歩みを進めながらいずれ山頂に到達していくわけです。シェイピングの重要性は“たとえ時間がかかっても設定した目標を達成することができる”ということを「癖づける」ことといえます。

 剣豪・宮本武蔵の成長を描いたことで知られる作家の吉川英治は、生前こんな言葉を残しています。「登山の目標は山頂と決まっている。しかし、人生の面白さはその山頂にはなく、かえって逆境の、山の中腹にある」と。自らが掲げた大きな目標の実現に向けて、スモールステップを組んでそれを一つずつ乗り越えていく道のりは決して楽なものではありません。けれど目標の達成に向けた挑戦にこそ“人生を面白くする”エッセンスが詰まっているのです。だからもっと苦労して成し遂げる過程を楽しまないといけません。このことがしっかりと心に留まっていたなら、たとえ自分の願いに今すぐ手が届かなくても「孤独感」とは無縁になるはずです。
【矢野宏光著 『こころの強化書』第134回剣道時代5月号(2020)(体育とスポーツ出版社) から一部引用】